もう一人のY君

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【数学】自明であること

数学 自明 trivial

 数学をはじめ色んな場で表現するこの言葉.

 簡単に言えば「本来書くべきことを(何らかの理由で)省略する」ということです.

 

 

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自明とする目的

 理由は様々でしょうが, 例えば

 

  1. 前述から直ちに導かれる程度の内容である
  2. 必要とは言えそれを書くのに紙面を要する
  3. 書くのが面倒である
  4. わざわざ書くことが目的から逸れる
  5. 読者, 学生に合わせ配慮した

 

などが挙げられます.

 

 その基準は詰まるところ著者次第ですが, 何を以て自明とするかは一概に定めるものではありません.

 

 

マイナス×マイナス

blog.thetheorier.com

 「マイナス×マイナスはプラスである」, これは一見自明に思えますしそう思っている方が比較的多いですが, 先日紹介した通りでこれは証明を要する定理です.

 

 この事実は高校数学までであれば「整数や有理数の性質」として教わる諸々の特徴を利用して結論を得ることが出来ます.

 

 しばしばこういった事柄を説明するのに何らかの「例え」によって説明することがあります.

 それは理解を助ける為であったり, 説明そのものを簡約するのに重宝されますが, それは翻って言えば「それ以外でも正しいかを保障しない」のです.

 

 それこそ, そもそも「マイナス」とは, 「プラス」とは, 「×」とは何ぞや…と, 普段自明であろうと決め込んでいるこれらにも直観ではない答えが求められるでしょう.

 

 

√2は無理数である

 こう問われたときの「定石」は, { \displaystyle \sqrt{2} } が有理数であると仮定し, 矛盾を導く事によって証明する方法ですね.

 

 仮定より既約分数 { \displaystyle \frac{a}{b} } が存在して

 

{ \displaystyle \sqrt{2}=\frac{a}{b} }

 

を満たすため, これを変形して

 

{ \displaystyle \Rightarrow\, 2=\frac{a^2}{b^2} \\ \Leftrightarrow 2b^2=a^2 }

 

とし, この { \displaystyle 2 } の存在によって矛盾が生じます.

 結果仮定が間違っているため { \displaystyle \sqrt{2} } は無理数である…という訳ですが, ここに至るまでに問うべきは

 

  1. なぜ有理数でなく既約分数で置いたのか
  2. 無理数でない=有理数は自明か
  3. そもそも { \displaystyle \sqrt{2} } は存在するのか

 

…と, 辿っていけば幾つかの疑問が湧いてきます.

 

 解釈を変えれば,3つ目は「{ \displaystyle x^2-2=0 } を満たす数 { \displaystyle x } は存在するのか」という事になります.

 無理数という概念が確立した時代, 地域を外れたその時であれば, 無理数という概念がそもそも無かった訳で, それに疑問を持つべきであるのは間違いありませんし, そうでなくとも(本来であれば)説明できて然るべきです.

 

 そう言う意味では, より厳密には

 

「方程式 { \displaystyle x^2-2=0 } に解が存在するならば, それは無理数である」

 

という事になりますす.

 

 これに別の見方をすれば, { \displaystyle \sqrt{2} } (若しくは { \displaystyle -\sqrt{2} } )と書くべきか…は, 今度は数学における「記号史」に関わります.

 歴史が, 慣例が違えば { \displaystyle \sqrt{2} } という書き方では無かったかもしれません.

 

 更に辿ってみれば, 記号は兎も角として { \displaystyle \sqrt{2} } が存在するということはつまり実数を認める事になります.

 

 …となると, 上記に追記するならば

 

「方程式 { \displaystyle x^2-2=0 } に実数解が存在するならば, それは無理数である」

 

です.

 

 となると今度は先程のマイナス×マイナスと同様, 今度は「実数とは何ぞや」という疑問に至ります.

 実数が何かは日常で, ある程度数学を学んで「直観的には」理解しているものの, それを「数学らしく」説明するには今の日本教育ならば大学数学科の内容になります.

 

 

図形

 或いは「一辺が1の正方形の斜辺」として先程の { \displaystyle \sqrt{2} } を主張することも可能ですね.

 しかしよくよく考えると

 

「一辺が1の正方形の斜辺」 { \displaystyle =\sqrt{2} }

 

と言える根拠は何処にあるのでしょう?

 

 一見直観的に自明に思えても, この時点では論理的に自明ではありません.

 もちろん「三平方の定理があるじゃないか!」と仰る事でしょう.

 すると「その図形は三平方の定理が成り立つ条件を満たしているか」が疑問になってきます, つまり「その図形は平面かどうか」です.

 

 

どこまでが「自明」か

 以上に挙げたケース以外にも, 掘り下げれば幾らでも可能であるシーンは幾らでもあります.

 

 しかし毎度毎度それに触れるのははじめに書いた「省略する目的」に関わり, 省略されることがしばしばですがその程度は臨機応変と言わざるを得ません.

 

 また学校であればその学習度に応じ, 逆に触れるべき,触れずにおくべきであることもまた言うまでもありません.

 

 例えば自明に覚える自然数や実数の定義は, 高校生であっても難易度が高いです.

 

 

「自明」の弊害

 「学生への配慮」で敢えて自明とすることは教育課程上幾つも出てきます.

 しかしこれは一歩誤れば「それが自明である」, 或いは「そういう定義なんだ」という誤解を招きかねない要因にもなり, それは現実に起こっています.

 

 掛け算の順番や { \displaystyle 6\div 2(1+2) } などの論争はその典型です(これにはまた別の問題があることは過去に指摘した通りです).

 

 個々人が解釈した幾つもの「自明」は, その意味故に簡単には揺るがないため, その問題も簡単には解決しないのです.

 

 如何にそれが「狭義」に過ぎない事を念押しするか…が重要であろうと個人的には考えますが, それを成すには骨が折れる事でしょうね.

 

 それほど「思い込み」というのは恐ろしいのです.

 当人には自覚がないので尚更です.

 

 「自明」という言葉は気軽に使える反面, その説明となると事はそう簡単でないことがあり得るのです.