先日こんな指摘があったので簡単に説明したいと思います.
分数は数かどうか
先に言ってしまえば, 「数でない」と指摘した方の主張はこうでした.
分数はあくまでも表記法であり, a÷bという演算そのものを書き直したものだから数でない.
例えば2は分数でないが, 2/1は分数である.
さて, これは正しいのでしょうか?
因みに「分数は数か」でGoogle検索するとトップ(記事執筆時点)に「分数は数でない」云々のページが出てきますが, 読んでみるとやはり「数の表現方法」ということで数でないと主張しています(むしろ繁分数だとか他の用語が並んでて無駄な内容が多い印象です).
表現方法が違うと数だったり数じゃなくなるんでしょうか?そもそも表現方法, 表記法って何でしょうか?
表記法とは
例えば大辞林 第三版では次のようになっています.
言葉を文字によって書き表すときのきまり。日本語でいえば、漢字の使い分け、送り仮名の付け方、仮名遣い、句読点など補助記号の使い方、縦書き・横書きなど。
- 大辞林 第三版
また日本大百科全書の一節にはこんな表記があります.
(3)語の表記に関するもの 漢字・仮名の使い分け、仮名遣い、送り仮名、振り仮名、外国語・外来語の表記
- 日本大百科全書
つまり, 「言葉をどのように書きあらわすか」ということですね.
「分数」は何を体現しているか
つまるところここが重要であり, かつ致命的なんですが, 分数として書き表しているそれを何として捉えてているか…の違いが, この理解の相違を生み出していると思われます.
結果的に言えば, 分数(に限りませんが)は割り算の結果となる数を表しているということで, その前段階である演算そのものを表しているわけではないということです.
写像で表現するならば, 集合 による直積 から への写像
における に他なりません(厳密には であるべきですが).
つまり数の集まりである の元の別表記というわけですね.
そもそも件の検索上位にあるページでも「数の表現方法」と「数」を付けているのに「数でない」というのも何だか違和感を感じます.
また数学者の上野 健爾氏も, 以下のように指摘しています.
a÷bが決める数をと記すことにしましょう。
は数と表したものであり, そのものではないということですね.
数の「表記方法」なんていくらでもある
最初の引用の通り, 表記方法というのは色々あるわけです, 例えば というのはアラビア数字であり, 零は漢数字, ゼロはカタカナ, nullはドイツ語…と, 同じ数でも色んな表記法があります.
或いは小数表示やn進法も立派な表記法です.
表記法が違うと言うことで数として認められないならば, これらの表記も数なのかそうでないのか問われるべきかもしれません.
2と2/1
分数や有理数を扱うようになると出て来るのがこの問題です.
2は自然数であることは明白ですが, 2/1とは明らかに姿も違いますし, まして の形でないので分数(有理数)でない…というのは正しいでしょうか?
これは一部について僕個人も理解できるところがあるのですが, 結果的に先程の通り, というのは例えば で得られる数です.
従って なので, 両者は同じと「見なす」ことができます.
例えばある月の1日と8日は「別の日」ですが, 「同じ曜日」なのでその視点では「同じ」なわけですね.
分数や有理数は, でない任意の数 について
ですから, 両者の同等関係や相当関係をどう扱うか, そして演算により等しいと明白である ないし の一方が である場合を考えねばなりません.
ここに数学におけるある意味革新的であり, 実は日常でも当たり前に使っている「同値関係」という言葉が隠れているわけですね.
図形の合同や相似はこの一つです.
つまり, 両者の姿が別モノであっても, 何らかの条件を満たすことで「同じを見なす」ことができるわけです.
と はその一つということですね.
いずれにしろ, 「 は分数ではないが は分数である」自体は正しいのです.
両者が「等しい」のか「同じ」なのか...これは同値関係の絡む世界では明確に異なるわけです.
図形で例えれば分かりやすいでしょう.
2つの図形について, 一方を回転させたり移動したり拡大・縮小して他方に一致すれば合同になるわけですが, この場合いずれかの少なくとも1つを行わなければ一致しないのであれば, 両者は明確に異なる図形なわけです.
しかしこれらの操作によって一致する, 合同であるならば, これは両者を「同じと見な」しているわけです.
〆
後付けの概念を持ち出しても意味がないという方もおられるかもしれません.
数学も, 頭の中で生み出したとしても結局は「目に見える何か」で伝えるのが合理的であり, つまりは「言語」ですから, 色んな表記があっても不思議ではないわけです.
なので必然的に色んな都合に合わせた表記が生まれます.
或いは歴史的な必然として, 同じモノに異なる記号が生まれるわけですね.
割り算の姿はそれはそれで表記として実在するわけですが, その結果を実在たらしめる「何か」もまた何らかの表記をせねばなりません.
分数はその一つということです.