もう一人のY君

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【数学】0^0(0の0乗)を考える

0の0乗 zero to the power of zero

 今回は { \displaystyle 0^0 }, 0の0乗の話です.

 

 

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演算はどのようにして定まるか

 我々が行っている計算,演算には数学の基でルールが決まっています.

 つまり計算の結果はただ一通りであることです.

 

 もちろん例えば二価関数のような例外もありますが今回は目をつむります.

 

 兎も角, (主に)数の集まりである集合 { \displaystyle G } による元 { \displaystyle a,b } から得られる結果 { \displaystyle c } がただ一通りであり,かつ { \displaystyle c\in G } であることが最低条件です.

 

 関数や写像で表すならば

 

{ \displaystyle G\times G\to G \\ (a,b)\mapsto c=c*b }

 

なる写像 { \displaystyle * } が存在するわけです.

 

 

0^0を考える

 と言うわけで, { \displaystyle 1+1 } でも { \displaystyle 1\times 1 } でも { \displaystyle 0^0 } であっても, それが(二元)演算ならばその結果, 値は( { \displaystyle G } の上で)ただ一つでなければなりません.

 

 しかし現実は, 指数法則

 

{ \displaystyle a^{m+n}=a^m\times a^n }

 

に倣えば

 

{ \displaystyle 0^{1+0}=0^1\times 0^0 }

 

から { \displaystyle 0^0=1 } が, 他方

 

{ \displaystyle 0^m=0\quad (m\neq 0) }

 

を自然に拡張することで { \displaystyle 0^0=0 } を導くことも可能です.

 

 また指数法則以外でも各々を導くことができます.

 

 

0が良いか, 1が良いか

 指数法則以外でも, 色んな状況で { \displaystyle 0 } か { \displaystyle 1 } かは分かれます.

 

 

指数関数

 例えば指数関数

 

{ \displaystyle e^x=\sum_{k=0}^{\infty}\frac{x^k}{k!} }

 

が { \displaystyle x=0 } でも定義されるためには { \displaystyle 0^0=1 } である必要があります.

 

 

二項定理

 多項式, 特に二項定理

 

{ \displaystyle (1+x)^n=\sum_{k=0}^n \binom{n}{k}x^k }

 

が { \displaystyle x=0 } でも定義されるためにはやはり { \displaystyle 0^0=1 } と定めれば都合が良いです.

 

 

極限

 極限を考えれば、シンプルなものであれば

 

{ \displaystyle \lim_{x\to +0}x^0 = 1 }
{ \displaystyle \lim_{x\to +0}0^x=0 }

 

, また

 

{ \displaystyle \lim_{x\to +0}x^x =1 }

 

であったりします.

 

 また

 

{ \displaystyle \lim_{x\to +0}\left( e^{-\frac{1}{x^2}}  \right)^x = 0 }

 

と, 多少複雑ですが { \displaystyle 0^0 } 型で極限が { \displaystyle 0 } になる例はたくさんあります.

※因みに, 極限 { \displaystyle \lim_{x\to a}f(x) } が存在することと, 値 { \displaystyle f(a) } が存在することは別問題であることに注意です.

 

 

集合・写像

blog.thetheorier.com

 写像の観点から見れば, 空集合 { \displaystyle \emptyset } 上の写像はただ一つですから, { \displaystyle 0^0=1 } と考えるのが妥当です.

 妥当と書いてしまいましたが, 上記は集合論において証明可能な定理です.

 

 { \displaystyle 0^0 } ではありませんが, 「長さ」の拡張であるルベーグ測度では, 本来不定である { \displaystyle \infty\times 0 } および { \displaystyle 0\times\infty }{ \displaystyle \infty\times 0=: 0 := 0\times\infty } と定めます.

 

 もちろんですが, 代数学のように「定義しない」考え方もあります.

 

 

どちらが正しいのか

 挙げたもの以外を含めて, おおよそどれが一番多いかと言えばどうやら { \displaystyle 1 } が多数派のようです.

 では { \displaystyle 0^0=1 } とするのが良いのでしょうか?

 

 しかしよく考えれば, 上で挙げた通りそれぞれが { \displaystyle 1 } や { \displaystyle 0 }, 定義しないとしたのは各々の分野, 都合によるもので統一されているわけではありません.

 

 結局のところ, 今回のような「例外」は各々で矛盾が生じなければそれで良い…という考え方をします.

 こちらで { \displaystyle 1 } としたのだからあちらで { \displaystyle 0 } にするのはダメだ…という理屈にはならないのです.

 

 

 肝心の定義なのに分野によって違う…ということに違和感を感じる方も多いでしょうが, 数学では意外とそういうシーンがあります.

 有名な例で言うと自然数 { \displaystyle \mathbb{N} } に { \displaystyle 0 } を含めるかどうかです.

 

 これは自然数の公理自体に「はじめとなる数」が具体的に何であるかを指定していない(極端な話「指定できない」)ことと, 複数ある公理次第では { \displaystyle 0 } を含めても問題なく, また代数学の視点から言えば(自然な加法において) { \displaystyle 0 } を含めたほうがより「豊か」である点があります.

 高校までであればそのようなことを教える必要もありませんし, 何より指導要領の範囲外の話ですから「含まない」前提で教えますし, それに従った問題が9割9分です.

 

 いずれにしろこういったケースではより柔軟な解釈が求められます.

 ブラウザで「0の0乗」で検索すると上位に『0の0乗は「定義不能」じゃない!』というタイトルのNaverまとめがあります.

 

matome.naver.jp

 

 内容は至極尤もなんですが, 結局主張しているのは有限の結論からなる, 言ってみれば「帰納的推論」にとどまります.

 彼は「定義不能が多数派」としていますが各々で定義すれば良いものに多数派も少数派もありません.

 

 参考書などを挙げて主張する部分も見受けますが, それは「そちらの分野だから」そう主張しているのであってより拡張的な { \displaystyle 0^0 } の定義をしているのではないのです.

 

 まとめの途中でこのような引用があります.

 

ブルバキを第一に引用したのは、 ブルバキはこの集合論を基にして 代数学や解析学を展開しているので、 「集合論ではそうかもしれないが、私の分野では違う」 という「ローカルな定義を根拠とする反論」に対する布石です。)

安倍研究室

 僕が主張するのはあくまでも(結果的に理不尽な)曖昧さを認めることであり, 「ローカルな定義を根拠とする反論」ではないということです.

 むしろグローバルな定義もローカルな定義もあるということを強調するために書いた次第です.

 そして「グローバルな定義のためにローカルな定義を否定する根拠もまた無い」ということです.

 

 つまるところ, { \displaystyle 1 } であっても { \displaystyle 0 } であっても「定義不能」であっても良いのです, それで矛盾が生じなければ.